ぶんぼっぽの日記

よんでくれ

2024年のお正月(途中休憩あり)

大体の正月

手書きで書いている日記帳には1日の記録がない。12月の27日から飛んで1月4日から日記が始まっている。4日の日記を読んでみると、「いいと思う。来年もだらだら続きそう」とのんきな一説。何を言っているんだと思いつつ、自己満足の極みの日記くらい、自己中心的でいいんじゃないかと思う。

手書きの日記は去年から書いている。1ページ目に戻ってみると、記念すべき最初の日記は2023年1月6日からだった。今年より遅いではないか。あと一日で1週間が過ぎよういう頃合いである。

この調子だと来年は1月2日に書き始めるのだろうか。だとすると再来年の26年、ついに31日大みそかから1日元旦までのシームレスな日記の以降が見られるかもしれない。年末年始の新しい楽しみができた。

のんきな24年。1日は吉祥寺の映画館へ「perfect days」を観に行った。ヴェンダーズが日本を描いた話題作だが、評判の裏で社会的な問題を無視しているという感想もちらほら聞こえてくる。

結構まじめな一面も持つ僕は、その感想のせいで二の舞を踏んでいたが、母親が見たいというので吉祥寺ヲデオンに向かった。

吉祥寺駅には、最寄りから電車で30分ほど。母がトイレに行きたいというが、エントランスがない映画館なので、スクリーンがある6階まで階段で登る(エレベーターはあるのだが、混んでいたので階段にした)。

正月だけどお客さんは多い。1日に吉祥寺ヲデオンで「perfect days」を観る、というオリジナリティのある思い出は、意外と多くの人とかぶってしまいそうだ。面白い映画だった。時計仕掛けのように等間隔で進む物語は何度も観て楽しめそうだなと思った。気が付かなかったが、地震があったようだ。

少し休憩。動画を見よう。


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2日は地元から遊びに来ている母のリクエストで皇居に行った。毎年一般参賀をするらしく、楽しみにしていた母だったが、昨日の時点で速報が入っていた。地震の影響で中止になったとか。

まあせっかくだからと皇居までは足を運んだ。一般参賀はないが、人は割といた。お土産屋さんの食堂がおいしそうだった。花より団子すぎる。

4日は初詣に行った。八王子駅の神社。お昼の日差しが気持ちいいので、並ぶのが楽だった。池に鯉がいるのだが、怖すぎると思う。口大きいし、あのでっぷりとしたからだがかなり怖い。

5日。母が帰る日であるが、羽田で事故があり、ダイヤが乱れているという。何時に出るのか、そもそも休航なのかがけっこうぎりぎりまで出ない。あっ、1時間遅れだって。ほっとしながら空港の北海道アイスを食べた。母はこれから北海道に帰るのだが...。

映画「ポゼッション」

 昔、なんとなく見ていたツイッターの動画で流れてきた、イザベルアジャーニ地下道のような場所で発狂する場面。白い牛乳をぶちまけ、体をくねらせ叫びまくる彼女の姿を、その投稿では「狂気の演技」と評していた。映画「ポゼッション」を知ったのはその時だった。

 この映画は件のツイッター動画のいう通り、アジャーニの狂気演技を見るためにあるようなものだ。そういっていいくらい、本物としか言えないような狂い方をしている。

 狂気を表現したい場合、日本だと「ヒャッハー」と高笑いしながら殺人を繰り返す、みたいな派手な狂気の演技が多い。少しチープにも見える表現ともいえる。

 アジャーニも、先述の牛乳ぶちまけのように、ものすごく派手な演技をする。しかし、本気としか思えない目つきをするものだから、その表情で観客を納得させてしまうのだ。血を流しながらうつろに街を歩く時のアジャーニのあの目!どうかしてしまっている。

 意外だったのは、アジャーニが孤独に狂っていく映画なのかと思ったら夫もともに狂っていくのである。お互い狂っていくのは同じだが、夫のそれはアジャーニよりどこか地に足ついた感じもして(アジャーニはヒステリックな感じもあったが、夫は計画的に人を殺す)差別化された狂気を見ることができる。

 この映画は結構演技が面白く、共起に陥る二人以外にもアジャーニの浮気相手がダンスするように会話したり、謎の拳法を披露したりとどの人もいい演技だった。

すた丼屋で知った日記の書き方

今日はおなかが空いたので伝説のすた丼屋さんに夕ご飯を食べに行った。最近は地球温暖化の影響か猛暑の連続で、汗だくになりながらお店に入った。少しでも汗だくの自分から意識をそらそうと、youtube プレミアムでダウンロードした藤原麻里奈さんの動画を見てみた。

藤原さんは無駄づくりという活動をしており、役に立たない発明品を作っては世界に発表している不思議な人だ。いつもクールなので、清涼になるかと早速見てみた。今回見たのは日記の書き方という回。

実は彼女のチャンネルを見るのは初めてだ。この回はゲストも出てくる番外編的立ち位置で、絶対に最初に見る回ではない気がするのだが、自分も日記をつけているので気になってしまった。

そんな背景をもつ回なので、藤原さんよりもどちらかというとゲストに出ていた古賀及子さんの話がメインだった。が、その話がなかなかに強烈だった。

念のために行っておくと、強烈とはなにも派手なエピソードというわけではない。古賀さんが話していたことは、古賀さん自身が今まで日記を書いてきた中で編み出した方法論なのだが、アッ、と声が出そうなほど脳みその奥まで入ってきた。

例えばでかい団地から漏れ出る光がぞっとすると同時に心強くもあるという言葉。この感覚をほかの人も持っていると思わなかった。例えば知らない町(なるべく生活感があると、なおよい)を歩いていると、知らない家庭が自分の洗濯物を干していたり、自家用車を車庫に止めていたりする。その家庭に属する人すべてに両親がいて、仲が良かったり悪かったり、一回も会ったことがなかったりする。さかのぼればおじいちゃんとおばあちゃんもいる。子供のころがあり、大人にもなり、老人にもなる。その過程が一切省略されず、緻密に人生が紡がれていく。俺の知らないところで!!

自分の観測範囲外でわらわらと知らない人の人生が進んでいて、一部は自分と交差したりかすったりしているんだなと思うと、言葉にならない怖さがあるのだが、一方で「勝手に進む」自動機械的で心強くもあるのだ。自分は自分の人生だけを心配してよいのだな、と。

自分以外にこの感覚を口にしている人を初めて見て衝撃を受けた。すた丼屋で。

ほかにも日記の書き方について示唆に富んだ話をしている。感想禁止。感想こそ書かなきゃいけないものなんじゃないの。と思うが、古賀さんはただ事実を書こうと言う。なるほど

「今日はおなかが空いたので伝説のすた丼屋さんに夕ご飯を食べに行った。最近は地球温暖化の影響か猛暑の連続で、汗だくになりながらお店に入った。少しでも汗だくの自分から意識をそらそうと、youtube プレミアムでダウンロードした藤原麻里奈さんの動画を見てみた。」

こういうことだろうか。確かに事実を述べているだけでも、雄弁に感じる。映画の感想とかでありがちな「考えさせられた」「狂気を感じた」が大嫌いなのだが、これも事実を書く意識だと避けられるのではないか。そうすれば「考えさせられた」の一分だけでなく、その文章全体が変わるはずだ。

たまたま見ただけの動画だったが、こんなブログまで書いてしまった。みんなも文章、書こう。

結局おもしろい方たち~能ある鷹が爪を隠しすぎ~

この間フジテレビで27時間テレビをやっていた。一人暮らしをしてから、想像をはるかに超えるテレビ離れを起こしている僕は、それを当然見ることはなかった。テレビを見なくなったということはもちろん、ああいう長めの(長め、なんてのんきな放送時間ではないのだが)お笑い系の番組は、たいてい番組の最後のほうが崩壊していると思っているので、最初から見る気はなかった。それでどうして見てもいない番組の話を始めたのかというと、MCのお笑い芸人に少し意外な人がいたからだ。

長い番組ということもあって、3組のお笑いコンビが合同で司会を務めるようだった。千鳥、かまいたち、そしてダイアン。ダイアン!ダイアンの2人がなぜか急にブレイクしていたのは知っていたが、こんな大きな番組を任されるような人だったのは知らなかった。

ダイアンと言えば特に津田がいじられ役として有名だ。おそらくここが違和感のもとなんだろう。いじられ芸人はどうしても周りの力で面白くなっている気がしてしまう。そんな他力本願で振り回される側の芸人さんがMCに抜擢されたことにきっと意外性をみたのだ。

でも、そこで大人の想像力を働かせると、また違った考えに至る。いじられ芸人も相当気を使わないと笑いは発生しないんじゃないか。考えてみれば当然なのだが、いじられ芸人も相当面白い人なのである。

先日、友人がいきなり、狩野英孝の「ホストみたいなラーメン屋さん」のコント映像をラインで送ってきて面食らった。だがそのURLをひらくと狩野英孝ってこんなに面白かったんだ、という驚きの映像だった。こんなに練ったネタを作っていたのに、彼もまたいじられ芸人である。

だが彼はよく考えるとずっとテレビに出ている。不祥事があったときには出ていないにしろ、その後もずっと出続けている。もう、こわい。能ある鷹が爪を隠しすぎなのだ。

まあ正直自分は特別お笑い好きというわけでもないのでここで革新的なお笑い論を述べられるわけでもないのだが。最近思ったことを少し書いてみたのだった。

忘れた「それ」はどこへ行くのか

 天才ぶったことを言うようで気恥ずかしいんだけど、寝ている間に考えや哲学めいたものがぱっと浮かんでくることがある。寝る前の数分間は考えること以外できない特別な時間。普段もやもやしているあれこれに対して「こういう考えでいたらいいんだ!」と素晴らしいアイデアが浮かんでくるのだ。

 ただ、忘れる。眠りにつく前のことなので当然ながら寝たらすっかり忘れてしまう。何なら思いついたという事実さえ忘れてし待っている気がする。ここで「忘れるほどなら大したことないことなのでは?」という言葉が浮かび上がる。

 生活の中で、誰かに何かを言おうとしたとき、急に何の話をしようとしたのか失念してしまうことがある。その時「忘れるくらいなら重要じゃない!」と自分に言い聞かせて一区切りつけることがある。まあ、思い出そうとして永遠に悩み続けるわけにもいかないので、それはしょうがない。しょうがないのだけど。じゃあもし時間に限りがなかったら、それでも「忘れたということは重要じゃない」と僕たちは繰り返すのだろうか?

だって人間は重要なことでもかなり忘れるではないか。鍵の場所、あらゆる暗証番号、たまに会う人のフルネーム...。なくした鍵なんてたまたまズボンから出てきたりして、自分の記憶とは全く関係ないところで発見したりする。そう考えると、忘れてしまったからと言ってしょうもない事柄とは限らないし、もしかしたら実は覚えていて、あまりに良い考え方だったために、次の日の朝には内面化してしまっているの可能性だってある。まあ、忘れてしまっているがために反証不可能なわけですが。

 それにしても、寝る前の集中力はすごい。人によって違うかもしれないが、僕は一つの妄想なり考えに集中しないと寝れない類の人間なので、好きな人と遊んでいる妄想だったり、理屈っぽいことをあまり詳細でなく、おおざっぱに考えたりするのだが。せっかく考えたのに生み出した答えはどこに行っちゃうんだろう。脳に描いたことをそのまま写真や絵にしたいのに(これは寝る前に思ったこと。覚えていた)。もしも朝、目覚めてなんだ、くだらない。と思えばぐしゃぐしゃにして捨ててしまえばいいんだから。まずは「それ」を見てみたい。

何かやったかな日記

 よく「何かやったかな~今日」という反省をすることがある。一日は24時間。かなりの時間があったわけだが、ぼくはなにかしらの行動をできただろうか?

 一日何もやっていないというはずはない。屁理屈を言うと毎秒呼吸はしているわけだし。散歩だってよくする。じゃあ、なんでこんなに物足りないんだろう。

 おそらく、「何かやったかな~今日」っていう疑問は、自分の人生をちゃんとできているのかなという問いかけなんだ。

 札幌にいたころ、映画監督の小林勇貴氏の話を聞いたことがあった。その中で印象的だったのが、「会社勤めをしていたころ、家に帰ったら自分の人生を取り戻すために夜更かしして映画をむさぼり見ていた」という話だった。

 会社に奪われた自分の人生を取り戻すとは何ていい言葉なんだ。

 やりたいこととついやってしまうことは違う。自分の人生を歩むならついやってしまうスマホいじりを今すぐやめて映画見るなり体鍛えるなり好きなことしないと。そうじゃないと「何かやったかな~今日」という疑問に回答できなくなってしまう。だから明日は映画を見よう。短歌を詠もう。

ベイビーわるきゅーれ2ベイビ-を見た!!

池袋シネマロサにて。衣装も飾ってあって最高でした。

前作は大学生のころに見たが、正直好きなんだけど微妙......という稀有な映画だった。主人公二人のかわいらしい緩い絡みが見ものの作品なのだが、だいぶコントよりのトーンで、映画としてどうなの?という疑問が捨てきれないまま終わってしまった。

2も正直そういうところはある。新キャラの兄弟の仕事の場面から始まるのだが、リアルな緩さを意識しているのだろうテンション高めのおどけた感じの演技が、どこかから回っていかにも作り物っていうように見えてしまう。(こういうところは姉妹編の国岡シリーズでは全く気にならない。画面の質感が違うからだろうか)

そこを乗り越えたらとても面白い。前作からの2人の掛け合いも面白いし、戦闘シーンも真似したくなるかっこよさが詰まっている。個人的には蛇の拳法みたいな動きと、コサックダンス並の腰の低さで地面を移動する場面が好き。

続編はどうしても予算や話の規模が大きくなったりで見た目は迫力があっても緻密さが薄くなってしまうことが多い。本作で良かったのはタイトルこそ「2」がついてはいるものの、続編というよりは「第2話」というイメージで作られているところ。

だからこれからも彼女達の物語は第「第3話」「第4話」と続いていくんだろうな、と想像できる。そしてこれはその中のひとつの話に過ぎない、という肩の力の抜けた感じがいい。

今回は前述の兄弟の殺し屋が新キャラとして出てくるが、それ以外に新キャラはほぼ居ない。(死体処理班の女性スタッフくらい?)そこも話を広げるより田坂さんとの関係性など既存キャラの深堀をしている。意外だったし、先程の「第2話」感とも繋がっている。

ただその兄弟、基本的に主人公たちよりも弱い。主人公が無双する話は北斗の拳とかるろうに剣心のようにある意味の心地良さみたいなものを感じられて味わいがある。

だからこそふたりが仲違いしている時に襲って有利になるとか、できそうなものなのにそういう展開がなかったのは少し不思議。喧嘩とかしてるのも前作の縮小再生産で上手く物語に働きかけてない感じはした。

あとは、菅田将暉好きの渡辺哲が最高にズレてて面白い。あそこは三木聡みたいなセンスだったと思う。

ちなみに同じシーンに「新しい学校のリーダーズ」が唐突に出てくるが、こんなタイアップするほど人気になったんだな、とぼけーっと考えていた。まるで無意味な登場。前作の主題歌「らぐなろっく」が主演2人の歌唱で良かっただけに、「2ベイビー」の主題歌歌手が突然登場するのは、阪本監督でもタイアップ的なものに飲み込まれてしまうんだな…と思わざるを得なかった。

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殺し屋女子コンビのアクション映画の続編『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』 予告編【2023年3月24日公開】 - YouTube