ぶんぼっぽの日記

よんでくれ

忘れた「それ」はどこへ行くのか

 天才ぶったことを言うようで気恥ずかしいんだけど、寝ている間に考えや哲学めいたものがぱっと浮かんでくることがある。寝る前の数分間は考えること以外できない特別な時間。普段もやもやしているあれこれに対して「こういう考えでいたらいいんだ!」と素晴らしいアイデアが浮かんでくるのだ。

 ただ、忘れる。眠りにつく前のことなので当然ながら寝たらすっかり忘れてしまう。何なら思いついたという事実さえ忘れてし待っている気がする。ここで「忘れるほどなら大したことないことなのでは?」という言葉が浮かび上がる。

 生活の中で、誰かに何かを言おうとしたとき、急に何の話をしようとしたのか失念してしまうことがある。その時「忘れるくらいなら重要じゃない!」と自分に言い聞かせて一区切りつけることがある。まあ、思い出そうとして永遠に悩み続けるわけにもいかないので、それはしょうがない。しょうがないのだけど。じゃあもし時間に限りがなかったら、それでも「忘れたということは重要じゃない」と僕たちは繰り返すのだろうか?

だって人間は重要なことでもかなり忘れるではないか。鍵の場所、あらゆる暗証番号、たまに会う人のフルネーム...。なくした鍵なんてたまたまズボンから出てきたりして、自分の記憶とは全く関係ないところで発見したりする。そう考えると、忘れてしまったからと言ってしょうもない事柄とは限らないし、もしかしたら実は覚えていて、あまりに良い考え方だったために、次の日の朝には内面化してしまっているの可能性だってある。まあ、忘れてしまっているがために反証不可能なわけですが。

 それにしても、寝る前の集中力はすごい。人によって違うかもしれないが、僕は一つの妄想なり考えに集中しないと寝れない類の人間なので、好きな人と遊んでいる妄想だったり、理屈っぽいことをあまり詳細でなく、おおざっぱに考えたりするのだが。せっかく考えたのに生み出した答えはどこに行っちゃうんだろう。脳に描いたことをそのまま写真や絵にしたいのに(これは寝る前に思ったこと。覚えていた)。もしも朝、目覚めてなんだ、くだらない。と思えばぐしゃぐしゃにして捨ててしまえばいいんだから。まずは「それ」を見てみたい。